メイン
« 尼崎JR脱線事故について (その4)
| 尼崎JR脱線事故について (その6) »

« 2006年02月以前 メイン | 2006年03月以降 メイン »

2005年05月25日

尼崎JR脱線事故について (その5)

事故から1か月 事故調が初の公式見解示す

今日で事故から1か月が経ちました。
23日の兵庫県警の発表によれば、19日現在でけがをされた方は549人にのぼり、うち入院中の方は139人とのことです。
気がかりなのは、なお重体の方が6人もおられるということ。あらためて心からお見舞いを申し上げます。

 5月23日付「朝日新聞」:JR脱線事故、25日で1カ月 なお139人が入院
 5月24日付「読売新聞」:尼崎脱線 重体なお6人

さて、新聞報道によると昨日24日、事故調(国土交通省航空・鉄道事故調査委員会)は事故発生の経緯について、遅れの回復を焦った運転士が「カーブぎりぎりまでブレーキ操作を遅らせようとした結果、大幅な速度超過でカーブに進入、脱線を引き起こした」とする初見解を公式の場で示しました。
5月25日付「読売新聞」記事より)

 5月25日付「神戸新聞」:運転士「遅ればん回で焦り」 事故調初見解
 5月25日付「神戸新聞」:「車両に異常なし」事故前乗務の運転士ら証言
 5月25日付「読売新聞」:福知山線 遅れ回復 30秒限界
 5月25日付「毎日新聞」:事故車両、非常ブレーキ4回「運転士、負い目に」

事故調の担当委員はこの日、国交省本省での会見で、事故を起こした運転士の心理状態に関する分析を次のように報告しています。

1.事故直前の心理状態について
「遅れを取り戻そうという一心で、カーブ手前で極力、強いブレーキをかけるつもりだったのだろう」
5月25日付「読売新聞」記事より)
事故を起こした快速電車は遅れを回復する時間が設定されていない「余裕時分」ゼロの厳しいダイヤで、事故調委は心理的な負担がその後の運転に影響したとみて、高見運転士の心理状況なども詳しく調べる。
5月25日付「神戸新聞」記事より *8月20日引用追加)
<参考>
事故を起こした快速電車は、ラッシュ時間帯からデータイムに入った3分後に宝塚駅を発車。しかも、余裕時分ゼロの電車の中でも最短の1本だった。データイムの余裕のなさが運転士に過度の重圧を与えていたとみられる。
5月24日付「神戸新聞」記事より *8月20日引用追加)

2.始発駅への回送中に赤信号を見落としたことについて
「宝塚を定時で出発しているが、ATSの非常ブレーキで止まるのは運転士にとって不名誉なことで、運転指令所にも連絡していなかった。それが負い目になり、通常の運転ではなかった可能性がある」
5月25日付「毎日新聞」記事より)

なお、ブレーキなど車両の異常についても調査が進められていましたが、現時点ではトラブルの形跡はなく、前日に事故車へ乗務した複数の運転士からも「異常はなかった」との証言が得られています。
5月25日付「神戸新聞」記事より)

また、通常の運転ではカーブ手前の塚口駅付近から減速を始めますが、その後の直線部分で電車の性能いっぱいまで高速運転を続けたとしても、最大30秒しか所要時間を短縮できないことも確認されました。
5月25日付「読売新聞」記事より)

〔続く〕

 西日本旅客鉄道(株) JR西日本公式サイト
 国土交通省福知山線における列車脱線事故について
    同   :航空・鉄道事故調査委員会

 *通信社&新聞各紙 4月25日以降の関連記事リンク集*
 共同通信社ニュース特集・尼崎JR脱線事故
 「神戸新聞」特集・尼崎JR脱線事故
 「朝日新聞」ニュース特集 尼崎・列車脱線事故
 「読売新聞」特集 尼崎・脱線事故
 「毎日新聞」尼崎列車脱線特集

項目: 東武・JR

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://hiki-life.net/mt3_2/mt-tb.cgi/1082

« 2006年02月以前 メイン | 2006年03月以降 メイン »

« 尼崎JR脱線事故について (その4)
| 尼崎JR脱線事故について (その6) »
メイン | 上へ↑